人生は旅である(納涼 黄泉編) 3 [旅]
--Yahoo!ブログ サービス終了に伴うブログ引っ越し(過去記事)
提供された移行ツールも他の方法も考慮したが、約2年間で60個程度の記事。
手作業の覚悟を決めて、タイトルも改め見直しつつ “せっせっ”と…
Yahoo!ブログ「オラとら(オイラはトラになる)」2018/8/25・8/26の2記事アレンジ。
2018.8.14 朝
(一泊、時間のズレは二泊の休み。)
スマートICの開門を待って、魔界いや下界の一般道へ。
山の木々の間から“ゆらゆら”と霧が立ち上がり、青い空が広がりはじめる。
“小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)”の峠越え。
オイラ:「もう地名だけで楽しくなる。」
f-yuragi(揺らぎ):「出たな妖怪」
オイラ:「あれ、霊とか妖怪とか信じていなかったんじゃない?」
f-yuragi(揺らぎ):「え~ぃ、お前のことだ」
時間が早すぎた。道の駅に着いたときはオープン前。残念(ツイてない)
それでも、ここが分かれ目と、児啼爺(こなきじじい)石像がある妖怪街道を散策。
人気のない道を“ぶらりぶらり”
(峠に妖怪そしてギョっ(魚)?)
オイラ:「こうなると何だか愉しい。他にもいくつかの妖怪たち楽しすぎて妖に騙され道に迷いそうだ。」(実際に迷った。)
後日、自宅に帰り数日分の溜まった新聞を取り出し目に留まった16日付の記事。
台風といい、柳田国男、妖怪・天狗といい、旅の途中と現在が交錯する。
オイラ:「わっ~、何だか知らないけど、やっぱり憑りつかれた?」
f-yuragi(揺らぎ)::「そんな非科学的なことは無い。強いて言うなら時間の歪みと揺らぎによって情報が交錯したのだ」
オイラ:「わっ~、何だか科学的と思えないけど、予言めいてる。」
トントン。
「ギャ~ぁー。誰だ、今、肩に手を置いたやつ」(f-yuragi)
うん?この件(くだり)前にあったような?
「何にしても、優しい妖怪・天狗で良かった。」
2018.8.14 昼
高知 桂浜
オイラ:「徳島は自動車道であること営業時間などの制約で通過時に酒を入手できなかったので早速」
♪
だれかと戦えと言われても 僕は絶対に戦いたくない
戦わないことを貫くために 死ねと言うなら喜んで死ぬ
それで誰かの命を 奪わずにすむなら本望さ
それで誰かに罪を作らせず すむのならこの命も値打ちがある
本日ハ晴天ナリ
僕ノ心モ晴天ナリ
この青く晴れ渡る
空を見上げるときに
君の心に雨が降らないように
生きていれば別れる日は 誰にでも必ずやって来る
それぞれ違いはあっても 遅かれ早かれ誰にでも来る
毎日ちゃんと生きるんだ こんな青空の下でも
何一つ感じられなくなる そんな日は必ずあるから
本日ハ晴天ナリ
例エ雨降リデモ晴天ナリ
この世界の片隅で
今日も生きている
君の心に雨が降らないように
君が笑うとき君の胸が
痛むようなことなどないように
♪
槇原敬之 『本日ハ晴天ナリ』
f-yuragi(揺らぎ):「生きることは(やっぱり)“闘う”ことだと思う。“戦わない道”があったとしても…、葛藤という“闘い”だと想う。…“ぐるぐる”絡み合う。」
実際の本日(2018.8.26)は、某局の24時間テレビ「人生を変ええてくれた人」放送中。
“あるべき”否定と肯定“あれもこれも”を持って“流し見”
人生は旅である。
晴れた日だけが「素晴らしい日」ではない。
溢れる泪を、雨で洗い流し隠す日が救いであったりする。
出会いと共にある別れこそが、人を強くしたこともある。
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